トップ大徳寺様塔頭聚光院様の別注位牌の制作の栄を賜りました。

大徳寺様塔頭聚光院様の別注位牌の制作の栄を賜りました。

聚光院様ご住職、千利休ご夫妻、三好長慶公の別注位牌の制作

昨年よりご依頼いただいておりました臨済宗のご住職用のお位牌を3基、それも特別仕様のものを制作させていただきました。弊社が直接受注、納入したわけではありませんが、実際の制作を担わせていただきました。大徳寺様(京都市北区)の塔頭聚光院様からのご依頼とのことです。3基の位牌のうち1基は、ご住職のお位牌です、あとの2基は、千利休ご夫妻と三好長慶公のお位牌です。zyukouin.mae1 zyukouin.haimen1sennnorikyuu.mae1 sennnorikyuu.haimen1 miyosi mae1 miyosi.haimen1

臨済宗のご寺院用の位牌は、専用の様式がございます。その中でも特に大徳寺様オリジナルの意匠のお位牌をご下命いただきました。ご要望に忠実にお応えすることを心がけて制作したところ、喜んでいただきました。写真をご覧いただくとわかりますが、雲形の屋根にあざやかな極彩色、屋根下から札、台座は、面朱仕上げ(朱漆で細いラインを引きます)。随所に金箔仕上げでアクセントをつけるというものです。雲屋根の極彩色が五色の雲をあらわし圧倒的なインパクトと美しさを演出します。その他の部分は、あっさりして全体的に上品な仕上がりとなっております。(面朱の精緻な入れ方が、全体のシルエットを浮かび上がらせます。)

臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺様は、京都でも有数の規模を誇る禅宗寺院で、多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院です。重要文化財である三門は、その二階部分を千利休居士により設けられ金毛閣と名づけられました。豊臣秀吉が主君織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国大名の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めました。聚光院様は、大徳寺22塔頭のひとつで三好長慶公と千利休居士の墓所です。永禄9年(1566年)、三好義嗣が父 三好長慶の菩提寺として建立。長慶公の戒名の聚光院という院号に由来します。また、茶道表千家、裏千家、武者小路千家の菩提寺でもあり、千利休の供養塔を中心に三千家一族のお墓が並んでいます。三好氏は、堺から京都を支配し信長上洛以前に一時機内を制圧します。大河ドラマ「麒麟がくる」でも描かれました。その三好氏は、千利休と関係があったようです。
このような歴史ある有名ご寺院の別製位牌を制作させていただく機会に恵まれ、位牌メーカーとしてまた一つ経験を積ませていただきました。このたびのご縁をいただいた皆様に心より感謝申し上げるとともに、今後の精進をお誓い致します。

 

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